ウェールズの詩聖アンノ・バーキン(Anno Birkin)について
by 伊藤美露 (Miro Ito)

アンノ青年の処女詩集 『Who Said the Race is Over? 』(レースがおしまいだなんて 誰がいったの?)がイギリスで出版され、不思議な縁を辿って、私の手元に届きました。アンノ自身は2001 年の 11 月、イタリア・ミラノ郊外のハイウェイで衝突事故に巻き込まれ、 21 歳になる1ヶ月前に還らぬ人となりましたが、アンノの3回忌に映画監督でシナリオ作家のアンノの父、 アンドリュー・バーキン(Andrew Birkin)さんがアンノの処女詩集を出版されたのです。

アンノの笑顔を古い WEB ページで見た途端、その包み込むような美しい笑顔に魅せられました。 私がアンノの詩の世界に惹き付けられて止まないのは、天使のような笑顔の美しさと、どこかエミリー・ブロンテの世界と通じる鮮烈な「言霊」の力が、剥がれなくなってしまった心の澱みや濁りを、溶かしてくれるからです。アンノの詩の世界と向き合うことで、私の中に鋭い稲妻のようなときめきが走り、魂の垢を焼き尽くしてくれるように思います。

 

 

   地すべり (“Landslide”)

  生気を取り戻す太陽
  偽造者の輩から 光を 剥がして取り戻し
  均整のとれた線の描く 行き届いた秩序に戻しながら
  世界の夜明けの 欠片を切望しつつ
  時の矢を万物につなぎ止める …

  まだ走り続けながら

  まだ存在という舞台の出番を待ち続けて
  鼻歌混じりに
 「まあだだよ … まあだだよ
  けれども僕 ちょっとだけ行き過ぎたみたいだ」
  僕らに罪を与えても 思考のミルクになるのが関の山

  主よ 地すべりをもたらし給え
  世界の表層を洗い浄めるために
  すべての悪なるものを葬るために
  童話の中の出来事のように 悪事はあるものの
  僕らはそいつを永遠に葬り去ろう

 (アンノ・バーキン著 『Who Said the Race is Over ?』より抜粋、伊藤美露訳)

アンノの故郷を訪ねて

アンノの故郷は、第三章「想いを撮る、故郷を撮る:アンノの故郷を訪ねて」でその一端を紹介していますが、場所はイギリスの西端に位置するグウィニット半島です。英国列島でも最西にあたるこの一帯は、ウェールズ地方と呼ばれ、エミリー・ブロンテの小説『嵐が丘』の舞台であるヨークシャー地方によく似ています。古くからアイルランド人の居住地でケルト文化圏です。道路標識はすべて英語とゲーリック(アイルランドの土着言語)の二カ国語表記。英国列島の中の異文化圏ですが、陸地として一番古く形成された地帯であることから、迫るように拓かれた赤茶けた不毛の丘陵は、どこか始源へと、想像力を引きずり込むほどの威容さがあります。

年中容赦なく吹き付ける風と雨が静まると、そこはなだらかな緑の牧草地帯になり、馬や羊や牛や草原の動物たちが美しい点景となって、夢みる詩人たちの理想郷に一転します。一日のうちで、自然の激しさと恵みを同時に肌で感じられる、そんな場所がアンノの故郷です。

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アンノの愛と情熱、大胆で怖れを知らぬ勇気の「鎧」をまとった理想、魂の奥底から絞りだされる繊細でメランコリックな詩情は、ウェールズにいると、まるで剥き出しの自然から絞り出されたため息のように、自然と響き合って聞こえてきます。

川の傍まで (“Close to the River”)

真夜中に燃えあがる タワーの壁面
悲惨な願望を秘めた 真下の暗礁
物語の流す血で 張りつめ濡れたまま
誰か飛び込んだ奴がいる 振り向く奴がいる けれども誰が誰なんだ?
(そしてお前は誰なんだ?)

君の欲しいものなんか    忘れてしまえ けれども
僕を強くしてくれた繋がりを忘れるな
その奥へと旅立つものは
僕の思いつく あらゆる思考の形態をとって 僕を摺り抜けていく
厭なことも そして愛さえも
一緒に泡立つ場所があるとするなら  其処は
僕の感情の崖ぷち

僕の面前で ずっと前から始まったこの動揺は
いつしか時の壁の中に食刻された
君たち二人の狂気は 僕の中に忍び込んでしまった
僕はずっと 僕自身に同意できないままなのに
僕は僕自身から 立ち去らないで
君たち二人も 僕を置き去りにできないことを
互いに信じるとしよう
僕は 石鹸で滑ってしまうような指輪じゃないんだ

戦士の大群は 僕の中で砕け散り いま
戦士たちは向かい合って 構え立ち さあ血の出番だ
いま 栄光に包まれて立ち上る愛があり
名誉は泥まみれで横たわる 

君と僕 二人の間 僕らは互いに励ましながら 川の傍まで来すぎてしまった
 熱を除いて 僕らの頭を洗い落として 見るがいい
鳥の糞と悪い夢を ブラシで永遠に 梳き落としながら 

苦痛と心配をありがとう
反って僕をもっと 不幸に優しくしてくれた
君に思い出してもらうことこそ 僕の誇り

(アンノ・バーキン著 『レースがおしまいだなんて 誰ががいったの?』より、伊藤美露訳)

上の詩は、アンノの叔母であり、イギリス出身の国際女優でシャンソン歌手のジェーン・バーキン(Jane Birkin)さんの『Arabesque』というアルバムの中で、英語とフランス語で朗読されています。アンノ自身、詩に曲をつけ、シンガーソングライターとしてライブ活動をしていましたが、処女詩集と同時に、自らのバンドKick joy Darknessのファーストアルバム『Dreams of Waking』も発売になりました。

アンノの詩集とCDの売り上げは、アンノの母、ビー・ギルバート(Bee Gilbert)さんによって、ケニアの孤児たちに演劇ほか、創造活動を支援するプロジェクト「Anno’s  Africa」に寄付されています。

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※この文章は、伊藤美露著『魅せる写真術』(MdNコーポレイション刊、ISBN 978-4-8443-5921-0)のギャラリーページにて発表したものです。ウエールズを訪れた時の写真も、同書第三章「私的ドキュメンタリー」の「動物のいる風景」「Anno Birkin」の故郷を訪ねて」でご覧いただけます。興味のある方はぜひご覧下さい。